なんでうちに限って
そんなふうに思ったこと、耳にしたこと、
今までに1度だけあって
その時自分が当事者だったわけだが
まさか自分が口にする日が来るとは思わなかった

お腹の子が息をしてなかった
年が明けて、長めの休みが開けて
さあがんばろうという日に妻から、病院から、声を震わせながらその訃報を聞いた。
着の身着のままという表現がそのまま、
記憶すら定かではないがタクシーに飛び乗って
ドクターから話を聞いて、泣きやむことのない妻の背中をさすって、そのまま入院
陣痛促進剤を使って無理やり、産んだ。

生まれた子はあまりに綺麗で、ただ直視できない現実があってその日から今日まで不意にまるで波のように
どうにも出来ない悲しみが襲ってきて
僕達はその度に途方もない不安と対峙して涙を流すしかできない夜を、何度も超えてきた
火葬というものを初めて経験して小さい、小さい骨を
大事に大事にひとつ残らず骨壷にしまった。

明日、納骨する。
1、2年前に建てたまっさらなお墓に
初めて入るのが自分の子供だと
親族全員いったい誰が想像出来ただろう。

基本的には良いことも悪いこともあっけらかんと話す自覚があるが、今回のことについては話すことに億劫になるし
話をしたとしても何か共感してほしい、優しい言葉をかけて欲しいとも思わないし、理解して貰えるとも思っていない。
これは2人で乗り越えるしかない。

いったいいつまで僕達は悲しめば、日常に戻れるのだろう。
明日、多分いっぱい泣いてしまう。でも、大誠のために
しっかり送ってやろうと思う。

ごめんな。

久しぶり

気づいたら12月
今年ももう終わりがすぐそこに来てる

絶賛つわりと戦ってる妻が横でねている

つわりがきついが故に動けない妻と
押し押せる日々の家事の狭間で
なんとか生活環境を文化的な生活ができる最低ラインでキープしてるわけだ。

ただ、今日リビングに積まれた洗濯した服の山を見て
プツリといとがきれてしまった
途方もない徒労感と虚無に襲われたのだ
今まで、すぐ近くにあったその感覚に
飲まれないように見ないようにしていたが
今日その瞬間が来てしまった。

結果妻にも冷たく当たってしまった
言葉にするのは難しいが胸の奥にモヤがかかっているような感覚になっている。

妊娠出産が大変なことは目の当たりにしてるし
妻は自分が見てる以上に戦ってることもわかる。
その中で自分の無力感や日々家をキープするルーティンワーク、、シンプルに忙しい仕事が相まって
とうとうダムが決壊してしまった。

時間が解決するとは思うが、
誰にも相談出来ない時期で
自分がすごく孤独に感じる。

今日の対応は反省して
明日から切り替えられたらいいが、、、

よう

久しぶりに9時過ぎまで仕事をした日
一日の疲れをじんわり感じながら揺られる通勤電車
一刻も早く帰りたい
どうやったら時間が過ぎるか考えては辞め、
電車に乗る前に買ったパックジュースの成分表を
ぼんやりと眺めたりしながら日記を書いてるわけだ


最近というと
もっぱら妊娠した妻のサポートが
俺の生きてることの意味になっている

悪阻というのは人によって程度はあるらしいから
妻の状態が相対的にどうなのかは分からない
ただ、ひいき目にみずとも
誰が見ようと恐らくしんどそう。。。と
心配になるであろうという程度にはやられている

男というのは作るだけつくって
いざ子供ができた途端
なんとなく十月十日後の
誕生の日を心待ちにしながら
今までと変わらぬ生活を送ることが出来る
ただ、女はそうはいかない
よく、腹を傷めて産んだ子という表現がされるが
俺からすると
腹どころか体も心も彼女を構成する全てを傷めて産んだ子だと
生まれてきた子供が眠らない夜や
その子供が何か悪い事をした時に語りかけようと
強く心に決めている

妻が日常生活もままならない状況なわけだから
もちろん家事全般が俺の役割になるのだ
今まで彼女が保ってきたレベルから少しでも綺麗レベルが落ちると、途端にダメだしされて何もやってないかのような評価をうける。
そうなると自分としては精一杯やってるのに
何をそんな言い方をするんだと、
内心イライラしてしまうこともある。 
大抵はその幾分か後にしんどくて横たわってる妻を見て
自分の器の小ささを実感してしまう。

彼女は、彼女は命懸けで
新しい命を育てている

正直自分が何をしてあげても
同じ熱量に感じてもらうことは難しいのだと思う
妻が妻と言うより、女性として最大とも言える役割を
果たそうしているその姿は
表現が正しいかは置いておいてこれ以上美しいものはないんだと、これもまた男の根っこの部分が感じているのだろう

今必死に成長している子供よ
お母さん頑張ってるぞ


↑このページのトップヘ